生きがいとは何か

 生きがいとは、生きていく甲斐がある、ということです。
もっと別の言葉で言えば、「生きててよかった」、「この世に生まれて、この人生を生きてこられてよかった」と思えるし、そういえるだけの現実が自分にはあるということです。

 人生の意義と生きがい

 オ-ストリアの心理学者フランクルは「なぜ生きるかがわかっていれば、どんな生き方でもたいがいは辛抱できるものだ」というニ-チェの言葉を引いて、自分の提唱するロゴセラピーという心理療法を説明しています。

 ロゴセラピーというのは、(ロゴス=意味)+(セラピー=治療)という、フランクルのつくった合成語です。
 フランクルによりますと「意味の探究こそが人生の根底を成すものであり、これがなければ、ただ幸福を追求しても空しいだけだ。幸福とは、それ自体を追い求めて得られるものではなく、意義深い生を送ることによって生まれてくる生きがいの充足感である。人生に意味を見いだせないことがノイロ-ゼなどのさまざまな心身症の原因になる」と言っています。

 これは机上の推論ではありません。第二次世界大戦中、フランクル自身が、ナチスのアウシュビッツ強制収容所で、苛酷な労働に従事させられた数年間の生活の中の、自分自身を含めた多様な人間心理への考察を、解放された後で冷静に分析した結果なのです。

 ある年の秋、クリスマスには囚人が全部釈放されるといううわさが、収容所内に流れました。あと何十日かの辛抱だと喜んだ人たちの多くは、そのまま年を越すと、がっかりして次々に亡くなりました。生きて行く目標を失ったからです。

 フランクル自身にとっての大きな生きがいは、妻と再会する希望でした。つらい労役の最中でも、空を見上げるとやさしい妻の笑顔がまざまざと浮かんできて元気づけられたと、フランクルは『夜と霧』の中で書いています。-実際にはもうその頃、最愛の人はこの世にいなかったのですが一。

 こうした自身の体験を踏まえたフランクルのロゴセラピーは、患者が自ら自分の人生に意味を見いだせるように、多面的な援助を与える心理療法です。
今日本でも、癌患者に生きがいを持たせる「生きがい療法」が関心を集めています。ジョセフ・ファブリィも、その著書『意味の探究』の中で「ロゴセラピーから私が学んだことは、人間の生活の中心となるものは、意味の探究であって、幸福の探究ではないという認識である。……喜びや幸福というものは、人生の仕事に感応する結果として生ずるものだ」と述べています。

自己実現の可能性

 では、人生により豊かな意義をもたらすものは、一体何でしょうか。日本人の男性の多くは、仕事が生きがいだと答えるでしょう。既婚女性には、家庭や子供が生きがいだという人が多いのですが、マイホームができ、子育ても一段落する中年期に入ると、急に自分の人生はこのままでいいのかと、虚しさに襲われることが多いと思います。

 人間は誰でも、大きな潜在的能力の可能性を持っています。ただ自分でもそれに気づかず、十分発揮できずに終わる場合が多いのです。

 スイスの心理学者ユングは「普通の人は自分の中の潜在的能力の50%くらいしか開発せず、あとの半分は置きっぱなしにしている」と言っていますが、最近のアメリカの学者は、もっと厳しいことを言います。たとえば、心理学者のウィリアム・ジェームズは、「私はまだ、自分の潜在的能力の10%以上を使っている人に会ったことがない」と述べています。

 タラントのたとえ話(マタイ25章14~30節)にもあるように、主人の留守中、それぞれの能力に応じて与えられたタラントを、倍にした者は主入に営一。められて、さらに多くのものを与えられますが、預かったタラントをそのまま地中に隠していた僕は、それを取り上げられて追い出されてしまいます。

 私たちは、自身の持つ価値には自分でも気づかずにいることが多いものです。
 何かの危機に遭遇したらかえってそれを自己実現のチャンスと考えて、思い切って挑戦してみましょう。「汝が在るところのものになれ!」という言葉通り、必ず道が拓けてきます。

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生きがいとしての愛

 ギリシャの哲学者ソクラテスは「汝自身を知れ」と語り、心理学者フロイトは「汝自身になれ」と述べています。そしてイエス様は「汝自身を与えよ」と弟子たちに教えられました。

 愛することは真の生きがいを私たちに与えてくれます。キリスト教徒は、どんな人をも兄弟として。受け入れて、お互いを大切に助け合いながら生きようとします。そうした毎日の積み重ねが、ますます豊かな生きがいを実感させてくれるのではないでしょうか。

 黒沢明監督の「生きる」という映画があります。
 市役所の職員として、長い聞すべて事なかれ主義で過ごしてきた定年間近の主人公は、自分が癌で余命わずかなことを知り、初めて自分が今まで人間として、本当の意味で生きて来なかったことを悟ります。

 そして生涯の最後の半年間を、子供たちのための小さな公園づくりに奔走します。やがてようやく完成した公園のブランコにひとり揺られながら、彼は静かに息を引き取りました。夜更けの雪が、あたり一面に降り積もって行くラストシーンは、今も私の目に焼き付いています。この主人公は、死期が迫っている中で初めて人生の真の意味を悟り、他者に愛を捧げることで、深い満足感に包まれて亡くなりました。

人間関係と生きがい

 私たちは人間同士の関わりを通じて、神との深い心の出会いを感じることができます。まず命あるもの同士の関わりを深める美しい会話を、サン.テグジュペリの「星の王子さま』から抜き出してみましょう。

 自分の小さな星のわがままなバラの花と別れて、いろいろな星をさまよい歩いた末、地球へやってきた星の王子さまは、草原でキツネに出会います。そしてキツネから、仲よくなる方法を教えられるのです。
キツネは言います。「あんたは、まだ、いまじゃ、ほかの十万の男の子と、べつに変わりない男の子なのさ。だから、おれは、あんたがいなくたっていいんだ。

 あんたもやっぱり、おれがいなくたっていいんだ。あんたの目から見ると、おれは、十万ものキツネとおんなじなんだ。だけど、あんたが、おれを飼いならすと、おれたちは、もう、おたがいに、はなれちゃいられなくなるよ。あんたは、おれにとって、この世でたったひとりのひとになるし、おれは、あんたにとって、かけがえのないものになるんだよ」……「じぶんのものにしてしまったことでなけりゃ、なんにもわかりゃしないよ。人間ってやつあ、いまじゃ、もう、なにもわかるひまがないんだ」……「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」……「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、時間をむだにしたからだよ」

 ここには、他者に関わることの深い意義と関わりの大切さ、またそこから生ずる義務と責任などが「飼いならす」という言葉から、胸に沁み込むような温かさで表現されています。

 人間はそれぞれが、かけがえのない存在だからこそ、どんな人生にも意味があるのです。あなたと同じ人は、この世に一人もいません。
 イエス様は「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14・6)と言われました。イエス様に倣い、主の示された道を、主と共に歩む中に、神との交わりを深める道もまた、開かれているのです。

価値ある人生を

 アルバート・シュヴァイツァーは、「他人のために捧げられた人生だけが価値ある人生だ」と言っています。

 ドイツのアルフレッド・デルプ神父は、反ナチ運動の精神的指導者として活躍しましたが、やがてヒトラーによって、三十七歳の若さで処刑されました。その著作は、五冊の全集にまとめられています。
彼は次の言葉を残しています。

 「もし一人の人間によって、少しでも多くの愛と平和、光と真実が世にもたらされたなら、その一生には意味があったのである」

 デルプ神父のこの言葉は、毎晩寝る前に、今日一日を生きがいのある日として送れたかどうかと反省する一つの手がかりを、私たちに与えてくれます。

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