仏教の仏とキリスト教の神

 仏教は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、あるいはガウタマ・シッダールタ)を開祖とする宗教です。キリスト教・イスラム教と並んで世界三大宗教の一つ(信仰のある国の数を基準にした場合)で、一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされています。

 しかし、実際には後述するように釈迦が説いた教えとはかなり異なるものに変質してきており、特に大乗仏教においてその傾向が顕著にあります。宗派によっても異なりますが、現代の仏教の教えは後の時代のものたちによって新たに生まれてきた教えが多数含まれていることも確かです。

 仏教における「仏」は、もともと「(真理に)目覚めた人」という意味でした。はじめ「仏」とは、導師シャカ(釈迦)自身のことであり、基本的には仏教を開いた釈迦ただ一人を仏陀とします。人々から尊敬され、目覚めた一人の人間を示す言葉でした。

 ところが後世になると、仏教は"多仏思想"になりました。時代を経ると、その仏陀思想がさらに展開され大乗経典が創作されて新しい思想が盛り込まれてきます。このため一切経(すべての経典)では、釈迦自身以外にも数多くの仏陀が大宇宙に存在している事が説かれるようになります。

 釈迦は自分の教説のなかで輪廻を超越する唯一神(主催神、絶対神)の存在を認めませんでしたが、大乗仏教においては、「大ビルシャナ仏(毘盧舎那仏・盧遮那仏)」(大日如来)や「阿弥陀仏」といった"永遠的存在者としての仏"の思想も現われてくるようになります。はじめは無神論的であった仏教も、やがて"永遠に実在されるおかた"の存在を認めるようなかたちに、変貌していったのです。

 また、釈迦が出世した当時のインド社会では、バラモン教が主流で、バラモン教では祭祀を中心とし神像を造らなかったとされています。当時のインドでは仏教以外にも六師外道などの諸教もありましたが、どれも尊像を造って祀るという習慣はありませんでした。したがって原始仏教もこの社会的背景の影響下にあったと思われます。

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「(真理に)目覚めた人」シャカ

 シャカ(本名ゴータマ・シッダルタ)は、紀元前六世紀頃、インド・ネパール地方の小国であった釈迦国に、王子として生まれました。
 彼は、物質的には恵まれた生活を送っていました。しかし29歳のとき、生・老・病・死という人生の苦を思って悩み、妻子を捨てて出家しました。

 彼は六年間にわたって、苦行を中心とする宗教的修行に専念し、解決を模索しました。しかしついに、苦行の無意味さに気づき、極端な苦行に偏らず、かつ極端な快楽にもおぼれない、「中道」を歩むことを決意します。

 以後、彼は、自分の悟りに基づいて教えを説き始め、人々から「ブッダ」と呼ばれました。これは、インドの古典語のサンスクリット語で、「(真理に)目覚めた人」という意味の言葉です。

 この「ブッダ」に漢字をあてたのが「仏陀」で、その略称が「仏」です。これはもともと、宗教的聖者を呼ぶ一般的な語であったのですが、後世になって仏教の専門語になりました。「仏陀」(仏)は、シャカに対する尊称であり、一人の"人間"を指す言葉だったのです。

人間を超えた永遠に存在する仏

 ところが後世になると、「大ビルシャナ仏」(大日如来)や、「阿弥陀仏(あみだぶつ)」といった、"永遠に存在する仏"の思想が生まれ、さらに仏像が作られるようになっていきます。こうした「仏」は、もはや単なる人間ではありません。人間とは別の世界に住む、人間を超えた存在です。

 シャカ自身は、そのような超人間的な存在者に関することは、全く語りませんでしたが、仏教の思想は釈迦の教えにない、人間を超えた存在に対する教えが仏教の教えとして伝えられるようになっていくのです。

 仏教初期の経典によると、シャカは一般的には、永遠的存在者が存在するか否かについて「無記」の態度をとりました。これは「どちらとも答えない」ということです。

 しかし根本的には、シャカの思想は"無神論的"であったと思われます。彼の思想は、
「苦」(人生は苦である)
「無常」(すべてのものは移り変わる)
「無我」(世界のすべての存在や現象には、とらえられるべき実体はない・・霊魂の存在の否定)
「涅槃(ねはん)」(すべての執着心を断てば、苦悩に満ちた輪廻(りんね)の世界の生まれ変わりから解放され、生存から脱することができる)
 の四つが、おもなものです。

 彼の思想は、有神論的世界観とは調和しません。彼は「無常無我」でない世界・・永遠に実在する世界があるとは語らなかったのです。

 けれども、永遠的存在者に関して"黙して語らない"、あるいは否定的な考えを示すシャカの思想に、満足しきれなかった人は仏教徒の中にも多くいたようです。そのため仏教は、そののち時代を経るにつれ、思想的に大きく変遷していきました。

 時代の流れと共に、創始者であるシャカの説いたものとは、かなり異なったものへと変わっていったのです。

 事実、「永遠の仏」の存在を説いているのは大乗仏教の方であって、小乗仏教では、そのような仏は説きません。仏教伝道協会の出版物には、こう書かれています。

「大乗仏教の場合、歴史上の仏である釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ=シャカ)の背後に、様々な永遠の仏の存在が説かれるようになる。たとえば、阿弥陀仏、大日如来、(大)ビルシャナ仏、薬師如来、久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦牟尼仏といった仏が、各宗派の崇拝の対象とか、教主として説かれている」

 はじめ無神論的であった仏教は、のちに"有神論的"になっていったのです。

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毘盧遮那仏とは

 ここで、とくに毘盧遮那仏、阿弥陀仏、また釈迦牟尼仏(シャカ)を取り上げ、それらがどのような仏なのか見てみましょう。まず、毘盧遮那仏とはどんな仏でしょうか。

 東大寺の大仏は、毘盧遮那仏です。これは、日本で早くの内に伝来した、「華厳宗」のご本尊です。
 仏教には、よく知られているように「顕教(けんきょう)」と「密教」がありますが、「毘盧遮那仏」は顕教での呼び名で、密教ではこれを「大日如来」と呼びます。毘盧遮那仏とは同じものですが、多少考え方の違いが在ります。
 
 毘盧舎那は太陽を意味するもので、毘盧舎那仏はサンスクリット語で、「ヴァイローチャナ・ブッダ」の音写で、「太陽の輝きの仏」。

 大日如来はサンスクリット語で、「マハー・ヴァイローチャナ・ブッダ」で、「マハー」は偉大や大きい、「ヴァイローチャナ」は太陽や日、「ブッダ」は仏で、「偉大な太陽の仏」となり、「大日如来」となりました。

 「毘盧舎那仏」(大日如来)について、仏教の解説者として知られる、ひろさちや氏(気象大学校教授)は、次のように説明しています。
 「仏教では……宇宙の中心に、真理そのものである仏が、どっかとましますと考えています。わたしは、このような仏を『宇宙仏』と呼んでいます。宇宙の中心にまします仏であると同時に、宇宙そのものであるような仏だからです。この宇宙仏は、ユダヤ教でいうヤーウェ、キリスト教でいうゴッド、イスラム教のアッラーと似ていないでもありません。この宇宙仏に、顕教のほうでは名前をつけて、『毘盧舎那仏』と呼んでいます」

 仏教はこのように、いつの間にか「宇宙仏」、すなわち宇宙の真理そのものであるような"おかた"の存在を説くようになりました。
 この仏は、永遠に存在し、滅びることのない、真理そのものである仏です。これは名は「仏」でも、聖書の示す「神」(天の父なる神)に、かなり近づいたものと言えるでしょう。
 こうした永遠的存在者としての仏の思想は、いかにして生まれたのでしょうか。

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「永遠の仏」思想の誕生

 永遠の仏の思想は、シャカの死後五、六百年たって、紀元一世紀頃から、涅槃文学の中でしだいに確立していきました。
 紀元一世紀と言えば、キリストの十二弟子の一人であったトマスが、インド方面に伝道し、インドにキリスト教の影響が及んでいった時代と、期を一にしています。

 使徒トマスはインドの西南部、マラバール地方に、七つの教会を建てました。現在でも、聖トマス教会のあるケララ州では、住民の約25パーセントがキリスト信者です。
 トマスがインドに伝道に来て、そののち中国方面にも伝道に行ったことは、今日では多くの歴史学者が認めています。そして彼はインドに戻り、そこで死んだと伝えられています。

 トマスはインドまで赴いて宣教し、そこで殉教したとされています。『トマス行伝』にインドの王として記録されているグンダファルという人物が、近年発掘された当時の貨幣によって実在していたことが判明しました。また、この時代から海路を通したインド貿易が行われていました。インドでは、トマスはトマの名で呼ばれ、トマが建てたという伝承のある教会があります。

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サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂のトマス像

 また、当時インドには、「ゾロアスター教」の影響も及んでいました。ゾロアスター教は、紀元前六世紀頃に、ペルシャのゾロアスターが唱えた教えです。
 ゾロアスターは、それまで多神教的であったペルシャの宗教を、拝一神教的にするように努力しました。彼は、永遠の神のもとで善の勢力と悪の勢力が闘争を繰り広げているのだという思想を展開し、やがて救い主が現われて、最終的に歴史は、善の勢力の勝利をもって終わるとしました。

 ペルシャでゾロアスターが活動した時代は、イスラエルで預言者イザヤが唯一の聖なる神を高揚し、救い主キリストの出現とその勝利を預言した時代(紀元前八世紀)より、少し後のことでした。しかしペルシャはインドに近かったこともあって、ゾロアスター教の「永遠の神」の思想は、インドに強い影響を与えました。

 実際、ペルシャ語とインドのサンスクリット語とは、言語的にも近縁関係にあります。また紀元前の時代から、インド西北部はペルシャ帝国の版図の一部となっていて、文化的影響を強く受けていました。

 このように、大乗仏教の毘盧舎那仏(大日如来)等の「永遠の仏」の思想は、キリスト教やゾロアスター教をはじめとする他宗教との混合、あるいはそれらに対抗するものとして生まれたものであると考えることが出来ます。
 それは、当時民衆の間にあった太陽信仰とも結びついて、広まっていったのでしょう。そして後世になって、経典化されたのです。

悪人を救済する阿弥陀仏

 お寺が運営している幼稚園で、そのお寺の住職の言葉です。

「4月8日はお釈迦様の誕生日ですよ」 、と教えた。

 ところが、一人の園児が、
 「先生、阿弥陀様の誕生日はいつ?」 、と質問してきた。
先生は、その質問にどう答えていいかわからなかった。
 確かにこの問題はむずかしい。

 阿弥陀様は衆生の救済をおこなう仏である。
全ての衆生を救いたいが、自分が善行をなしている人々は、それだけで救われる善人なので、あまり、阿弥陀仏の救済を必要としない。
 善人は放っておいても 、大丈夫なのだ。
ところが、悪業をして苦しんでいる悪人を主に救ってやろうとしているのだ。

 すなわち、悪人救済が阿弥陀仏の本質である。
すなわち、善人ばかりだと、阿弥陀仏の存在価値がないのだ。
すなわち、悪人のお蔭で、阿弥陀仏はみずからの存在価値を確立できるのだ。

 言い換えれば、悪人の誕生の瞬間に、阿弥陀仏も誕生するのだ。
だとすると、阿弥陀仏の誕生日は、我々衆生の誕生日にほかならない。

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 イエス・キリストは、
「『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」」(マタイ9:13)と言われましたが、阿弥陀仏の思想は、罪ある人間を救おうとされる聖書の教えにもよく似ています。明らかにキリスト教の影響を受けているように思われます。

 しかし仏教の場合は、人を救うといわれる阿弥陀仏が何者であるのかが漠然としていますし、私たち人間の罪についても、救われる根拠についても確かなものがあるとは思われません。そうなると、人間の側の信心の強さや善行などが救われるためのバロメーターになると思われます。仏教は人間の創作であるという思いがいたします。

 こうして信仰され始めたのが、「阿弥陀仏」や「薬師仏」です。阿弥陀仏は、西方のかなたにある「極楽浄土」、薬師仏は東方のかなたにある「浄瑠璃浄土(じょうるりじょうど)」に住んでいる仏とされました。また毘盧舎那仏は、宇宙の中心に住んでいるとされました。

 仏教では、宇宙のいたる所に仏がいて、その仏の数と同じだけ浄土がある、とされているのです。こうして仏教は"多仏思想"になりました。
 日本では、念仏の広まりとともに、とくに阿弥陀仏が有名になりました。
 

鎌倉の大仏は阿弥陀仏である

 この思想は、
「イエス・キリストを信じ、その名を呼び求めれば、だれでもキリストの贖罪のみわざと、とりなしによって、天国に入ることができる」
 というキリスト教の教えに、非常に近いものになっています。聖書には、
「主の御名を呼び求める者は誰でも救われる」(ロマ10:13)
 と記されています。

 実際、多くの学者が、阿弥陀仏信仰の成立にはキリスト教の影響が大であった、と考えています。たとえば「アミダ」は「無量寿・無量光」を意味するサンスクリット語(アミターユース・アミターバー)から来ています。これは、無限の生命・無限の光という意味です。

 この語について、浄土真宗の僧侶をやめてキリスト教の牧師になった経歴をもつ道籏泰誠(みちはたたいせい)師は、これは聖書のヨハネの福音書にある次の言葉を、借用したものに違いない、と述べています。
「この方(キリスト)にいのちがあった。このいのちは人の光であった」(ヨハネの福音書1:4)

 この「いのち」と「光」が、「無量寿・無量光」に転化したのです。
 実際、阿弥陀仏信仰の成立は、やはり紀元一世紀~二世紀頃とされています。その頃インドでは、仏はシャカ一人ではなく、他の遠い国にも現れる、という思想が盛んになっていました。

死後の世界には無記の態度をとった釈迦

 現代の日本の仏教は、葬式仏教などといわれることもあるように、お葬式と深くかかわりを持っていますが、釈迦は自身は、死後のことや死後のことを考えることについては無記の態度をとりました。

 摩邏迦(まらか)という弟子が、釈迦に死後のことについて尋ねたときの釈迦の答えは次のようなものでした。

 死は誰にも分らない、ましてや死後の世界は誰にも分らない。
ここに毒矢で射られた男がいるとする、周囲の人々が慌てて医者を呼んだ。すると毒矢に射られた男が医者に向かい、「そんな治療をする前に、まず俺を射た男を捜してくれ。そして使った弓がどんな形で、材料で、毒の種類も調べて欲しい、その答えが出ないうちは治療しては困る」と。

 釈迦は摩邏迦に、この男をどう思うと聞かれた。摩邏迦はその男は大バカだ、その間に毒が廻り死んでしまう。釈迦は、お前の死後の世界の質問も同じことだよと云われ絶句した。

 釈迦は、大事なのは毒の正体を知ることではない、まず毒矢を抜いて、苦しみを除去することだ。死後の世界の問題に拘る場合ではあるまい、大事なのは今の苦しみをどうやって克服すべきかと言うことだ。幾ら考えても分らないことは考えるのをやめなさい、と。

 このように釈迦は答えたと言うことです。
 お釈迦様は生前、決して死後の世界や霊魂の存在などという問題についてお話しにならなかったと言われています。
色んな弟子が聞いたが一切お答えにならなかったという。これを釈迦の「無記」という。ノーコメントのことです。

 この点においても、大乗仏教は釈迦の教えからはかなりかけ離れてきていると言わなければなりません。

シャカの神格化

 つぎに、釈迦牟尼仏(シャカ)について見てみましょう。
 仏教の開祖シャカは、後世になると、「久遠実成の仏」といって、永遠の昔から仏なのだ、と説かれるようになりました。

 つまり、「人々はシャカは29歳で出家して35歳の時に悟りを開いたと思っているが、実はそうではない。シャカは本当は"永遠の昔に"悟りを開いて仏になったのだ。では、この世に生まれ、修行したのは何なのかというと、それは人々を導くための方便なのだ」というのです。

 このような思想を説いているのが、有名な『法華経』です。こうして人間シャカは「永遠の仏」に昇格し、"神格化"されたのです。
 これは、「永遠のキリスト」の教義の、いわば"仏教版"と言えるでしょう。実際、インドの高名な宗教学者アーマンド・シャー博士は、キリストの使徒トマスの福音に対抗して、シャカを聖人から救い主に昇格させたのが大乗仏教である、と言っています。

 

仏教からキリストへ

 シャカの「苦、無常、無我、涅槃」の思想や、無神論的な立場だけでは満足できなかった多くの人々は、シャカの教えに、様々な思想をつけ加えることによって、仏教を発展させてきました。

 人々は、キリスト教その他の宗教に影響され、あるいはそれに対抗するために、「永遠の仏」の思想を発展させてきました。そしていつの間にか、永遠の生命の本体としての"神的存在者"を、信じるようになったのです。

 すなわち、人間が真摯に真理を追求していくなら、必ずや「永遠の神」の存在に行き着く、と私たちは考えてよいでしょう。

 聖書に、
「神は……人の心に永遠への思いを与えられた」(伝道者の書3:11)
 と書かれています。私たちの心には、永遠から永遠まで存在しておられる偉大な神を思う思いが、植えつけられているのです。

 「永遠の神」を信じる信仰は、人間の真摯な求道から来る必然的な帰結です。仏教という名のもとに人々が本当に求めてきたものは、じつは仏教の中にではなく、聖書の示す「永遠の神」にこそあるのです。

 つまり、大乗仏教が示している「永遠の仏」の思想は、聖書の示す「永遠の神」への信仰に至るための、一種の"入門"と考えればよいでしょう。
 仏教の示す「永遠の仏」は、いまだ漠然とした、とらえどころのない存在者に過ぎません。しかし聖書は、「永遠の神」について私たちが知るべき知識を、余すところなく伝えています。

 聖書によれば「永遠の神」は、天地万物を創造されたかたです。神は、その限りない御力によって万物を保っておられます。
 神が創造者であるという真理は、人生において最も大切な真理の一つであり、私たちの信ずべき真理です。この神が、私たちを愛し、すべての者を慈しんでおられます。

 また神は、じつにその愛を、ご自分の御子イエス・キリストにおいてあらわされました。

 キリストは、永遠において神より生まれ出たかたであって、神と同質のおかたです。しかしキリストは、神を離れてあるのではなく、神と一体であって、神と存在を一つにしておられるのです。(神とキリストの一体性)。

 神はキリストにおいて、形なきご自身のかたちを表し、その本質を私たちに如実に示されました。ですから聖書は、キリストを「神の本質の完全な現われ」(ヘブル人への手紙一・三)と呼んでいます。

キリストは「神の本質の完全な現われ」

 この、神と共に永遠に存在されるキリストが、歴史上に人間となって出現されたのが、「ナザレのイエス」なのです(ナザレとはイエスの育たれた町の名)。

 そして、イエス・キリストは今も、神と共に永遠に生きておられます。
 私たちは、キリストを通して、神がどういうおかたであるかを知ることができます。キリストご自身、弟子たちに対して、
「わたしを見た者は、父(神)を見たのです」(ヨハネの福音書14:9)
 と言われました。私たちは、キリストの教え、行動、みわざ等を見ていくことによって、永遠の神がどのようなおかたであるかを、つぶさに知ることができるのです。